忘れかけていた昔話
もう何年も前のこと。
「目の前で大きな花火が見たい」という私のわがままを「その人」は叶えてくれた。送られてきた新幹線の切符を手に、ちょっとした小旅行のような気分だった。
私の住む場所より遠く、「その人」の住む場所に近いところ。
お互い忙しかったけれど、「その人」はもっと忙しくて、さらにふたりの間には難しい事情もあってなかなか会うことができなかった。
初めて「その人」に会った時、花の大好きな私へと、枯れない加工がしてある花が入った小さな箱をプレゼントしてくれた。思いを告げられ、私は短期間で簡単に自分を見失うほどのめり込んでしまった。
いつしか私の方が好きになりすぎていたのかもしれない。
ちょうど良い距離感というものがわからなくなり、会えないことが不満から辛さに変わり、怒りに変わることの方が多くなっていった。
やっと会えても全然時間が足りなくて、ふたりで部屋で過ごす以外はせいぜい慌ただしくお茶をするくらいで、一緒にどこかへ出かけたり何かを見たり、ゆっくり食事をすることさえままならなかった。
普通のデートがしたかった。
次第に逢瀬の別れ際のたびに、私は辛くて泣くようになった。
なんのためにたくさんの不自由を抱えながらふたりが心を繋いでいるのか、もうその頃はわからなくなっていた。
今思えば、相手を思いやる余裕などなく、我慢とか気持ちのコントロールとは無縁だった、あまりにも自己中心的だった私。
花火へ向かう新幹線の中、ぼんやりとふたりのことを思い返していた。
改札口で待つ「その人」の姿を見て、やっぱり素敵で心がぎゅっとなった。
花火まで少し時間があったので、少し散歩をしゆっくりご飯を食べた。
目の前に何の障害物もない特等席で見ることができた花火は思っていた以上に素晴らしかった。
隣には「その人」がいて、ずっと手を握っていてくれて、たとえ花火がどんなにしょぼくても私はもうそれだけで満足していたと思う。
「きれい・・・」それくらいしか言葉にならなかった。
花火の間、ふたりで言葉を交わすことはなかった。
きれいで嬉しくて幸せで、「その人」にわからないようにこっそり涙を流した。
そしてなんとなく、「もうこの花火をふたりで見ることは二度とないだろうな」と
静かに予感した。
花火からしばらくたってから私たちはお別れをした。
「その人」の状況を理解しようとせず、自分の欲求ばかり押しつけて、叶わないことに腹を立て、私は自分の手で、繋いでいた糸を引きちぎってしまった。
自己中心的にならずなぜ相手をもっと思いやることができなかったのか、
不自由を悲観して辛い寂しいばかり思わずに、なぜもっと楽しむことができなかったのか。
幸せだと思える瞬間はきっとたくさんあったはずなのに、そんなことに気付いて
反省できたのは、もう「その人」に会いたいと思うこともなくなっていたずっと後になってからだった。
・・・なぜ急にこんな昔話を思い出したのかわからないが、数時間たってもあたまから離れず気味が悪かったので、ここに書き出した。