不自由さの苦しみを思う
昔、「はてな」とは違うところであるブログを書いていた。そこはIDだけは残してあるものの、書いたものは全て削除してしまったので、いまとなっては何を書いていたか私にもはっきりした記憶がない。ただ覚えているのは、誰にも(相手にさえ)打ち明けることができずに溜まりに溜まって毒の塊になった気持ちを投げつけるように書いていたということ。
どこどこへ行って楽しかったとか、何をして嬉しかったとか、そんなことも確かにあったとは思う。だけど、幸せな気持ちより、ひたすら辛く理不尽な思いのほうがはるかにまさっていた。
辛いことを打ち明けて、受け入れて一緒に乗り越えてくれるような相手だったら、方向はまた違ったかもしれない。
しかし、それは期待するだけ無駄だった。「一緒に愛を育てる」とか「障害を手を取り合って乗り越える」とか、そういったことは一切なかった。
私にも、そこまでの気はなかった。
ぶつかろうとしなかったし、常に「どうせいつか終わりがくるのだから」という諦めに似た気持ちがあり、なるべく自分がこれ以上傷つかないようにと、頑なになっていた。
会いたくても「会いたい」と言えない。
相手も私に会いたいのかそうでないのかわからない。
相手が自分をどう思ってくれているのか、全く気持ちが見えない。
せめて、メールや電話でと思ってもそれすらままならない。
コミュニケーションがとれない。
不満がどんどん蓄積される、でも言えない。
そんな関係でも、失うのが怖くて。
私は次第に疲れ果てて、そんな状況を続けるのが無意味に思えて、終わりを告げた。その時、呪縛から解放されたようで心底ホッとした。
その当時、ブログ上で交流のあった人の中には、いまでも苦しみの渦中にいる人や、パートナーを変えて再スタートしたけれどやっぱり同じ苦しい思いを抱えている人がたくさんいる。
私は自分の過去の苦しみを忘れるくらい、いますごく充実した恋愛ができている。もちろん、嫉妬心や不自由さに時々苦しくなることもあるけれど、どんなことも怖がらずに打ち明けられるし、受け止めてもらえる。
「どうせいつか終わりがくるのだから」など一度たりとも思ったことがない。
ずっと一緒にいられる、いたいと強く思えるのは、やはり日頃のふたりの積み重ねだし、コミュニケーションを密にとれること、そしてなにより会えることだと思う。
不自由さの苦しみの渦中にいる人に、少しでも多くの幸せと暖かい光が降り注ぎますように。